トランプ政権のプロパガンダ? スターウォーズ/最後のジェダイ

「スターウォーズ/最後のジェダイ」はトランプ政権のプロパガンダ映画だ、というと穿った見方かもしれませんが、私は「最後のジェダイ」はいまのアメリカ政権のプロパガンダに成り下がってしまったのではないかと感じました。


(プロパガンダ[propaganda]とは宣伝のこと。特に、政治的意図をもって行われる主義・思想などの宣伝。)

 

これまでのスターウォーズに見られなかった自己犠牲のシーンがいくつもありました。

 

・冒頭、自分の命と引き替えに爆撃を決行するローズの姉。


・ホルドは仲間を逃がすためにクルーザーに残り、最期は特攻を敢行します。

 

・そしてフィンは死ぬのがわかっていて敵の兵器に突っ込んでいきます。

 

これらは以前のスターウォーズには見られなかったものです。

 

どんなに無謀な作戦でも生き延びる術も考えるのがこれまでのシリーズでしたが、本作はまるで自己犠牲を礼賛するような作りです。

これは北朝鮮やィエルサレムで火種をまき散らすトランプ政権の戦争に対するスタンスを表しているのではないでしょうか?

 

死ぬこととヒーローになることがあたかも同一視されるような作りです。

 

また、劇中に出てくる金持ちの武器商人たちはどうでしょうか?

 

フィンたちはDJによって世界にはからくり(武器商人たちがファーストオーダーとレジスタンス双方に武器を売り、暴利をむさぼっている)があることを知ります。

 

普通ならこういった立場の者には最終的になんらかの罰が下るのですが「最後のジェダイ」ではなにも起こりません。

 

武器商人を優遇、あるいは見て見ぬ振りをしています。

 

一方で戦争の前線では死ぬことをヒーロー視している。

 

これはなにか政治的な意図があるのではないでしょうか。

 

もともとハリウッドは戦後、映画を通してアメリカのプロパガンダをしてきました。

軍も積極的に映画作りに協力してきました。最近だとオスプレイがSF映画には漏れなく出ていました。実際、日本もオスプレイを買う羽目になるわけですが。

 

こうした動きは巧妙に面白さの中に隠されています。

 

ディズニーがそんなことをするわけがないと言うかもしれません。したし、私にはなにかグロテスクなものを今回のスターウォーズに感じてしまいました。

 

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「スターウォーズ/最後のジェダイ」私ならこうする!妄想プロットを勝手に作ってみた。

「スターウォーズ/最後のジェダイ」を観てきました。


しかしあまりにもひどいデキだったので、ボロクソに批判したわけです。

批判的な記事を二つ書きましたので、記事の最後にリンクを張っておきます。(お時間あるときの暇つぶしにでもお読みいただければと思います。)


一方で私の個人的な思いとして、酷評だけではまるで批評家みたいで製作陣に対してフェアではないと考えました。

自分ならこうするという「My 最後のジェダイ」のプロットを提示してみました。


※妄想なのでまったく本当のことではないのでご注意ください。

 

以下、勝手に妄想プロットです。

 

まず、前作「フォースの覚醒」でレジスタンスはルークをみつけだします。


レジスタンスにとって最重要人物であるルークを迎えに行くにあたりその任に大抜擢されたのがレイです。


これは「真実」を知るレイアが二人を会わせたと見るのが自然でしょう。

そして「真実」とは、レイとルークが親子だということです。

(※何度も書きますが私の妄想ですので)

 

そうなるとルークの妻であり、レイの母親は誰なのか?
なぜレイは孤児として孤独に生きていたのか?
こういう疑問が浮かびます。

 

まずルークの妻(レイの母親)はキャプテン・ファズマです。
ベイダー亡き後、銀河のライトサイドとダークサイド間のフォースのバランスは大きく崩れます。それを非常な危機と捉えたDark Sideのスノークらは一計を案じます。
強力なフォースを身につけているであろうルークの子供を得て、その子をダークサイドのシスの戦士として育て上げるという計画です。

もともとダークサイドにいた(がフォースは操れない)キャプテン・ファズマはスノークら、シスの命令を受けてルークに近付きます。


ルークはファズマを愛します。そして数年後、レイが生まれます。

 

すでにハン・ソロとレイアの息子ベン・ソロ(カイロ・レン)をジェダイとして育てつつあったルークですが、突然ファズマに裏切られます。


ファズマはルークを殺そうとしますが失敗します。

 

そのときにルーク、ファズマともに大けがを負い、ファズマはあのシルバーの強化服に身を包むようになりルークは戦闘能力を大きく失うわけです。

 

ファズマはベン・ソロを拉致します。

 

ベン・ソロを奪われたルークですがなんとかレイだけは逃げ延びさせることに成功します。そのとき用いられたのがミレニアム・ファルコン号でした。

 

長年レジスタンスは辺境の星(「フォースの覚醒」の冒頭の舞台)でレイをモニターしつつ、敵の力が及ばないように見守っていました。万が一の際にはミレニアム・ファルコンで脱出できるように。

 

一方、ルークは友人と姉の息子を奪われ、その彼がダークサイドに堕ちたことと最愛の妻ファズマに裏切られたこと、そして大けがによりもはや自分がかつてのようには戦えないことに甚大なショックを受け、辺境の星に隠遁します。


自分が動けばレイにも害が及ぶとも考えました。


レジスタンスはルークを見失います。

 

連れ去られた幼いベン・ソロは母親代わりでもあったファズマの教えにより闇の力を手に入れカイロ・レンになります。

 

そういったことがあったことをレイは知りません。しかし時折なにかを感じることはありました。


そうして対面を果たしたルークはレイを一目で自分とファズマの娘だとわかります。レイも何かを感じます。


レイは自分の中に「フォースらしきもの」があることをわかっています。


レイはルークにフォースの修行をつけてほしい旨を申し入れますがルークは世を捨てた身としてそれを拒否します。


しかし、レイは食い下がります。

 

「カイロ・レンと戦ったこと」、そして「ハン・ソロが亡くなったこと」をルークに告げます。

 

ルークはそれでも修行を拒否しますが逡巡の末、弟子を受け入れます。そしてこう言います。


「修行はひとりではない」


振り返るとけがから回復したフィンが宇宙船に乗って島にやってきていました。

 

一方フィンを始め、多くの人々、レジスタンスもファーストオーダー側もフォースには懐疑的です。もう何十年も前に行われた戦いについて真実を知る者は本当に少なくなっているのです。


フィンはかつてのヨーダに対するルークがそうであったように師のルークに突っかかります。


しかしフォースの力を見せつけられ修行に専念することになります。

 

一方、レジスタンスはルーク発見の報を敵から隠すために大規模な陽動作戦を開始します。


レジスタンス全拠点からの総攻撃です。ルークがレジスタンスに帰ってきたときに銀河の一斉蜂起を促すべく短期的な勝利を目指します。


ポーは、パイロットとして縦横無尽の働きをします。


攻撃目標はスノークーの首です。

 

修行の途中、フィンはポーの危機を感じます。出ていこうとするフィンをルークは諫めますが聞きません。


出ていくフィンにルークは一本のライトセーバーを与えます。

フィンは出ていき、レイも一緒に出ていってしまいます。


そして残されたルークはR2-D2と語り合い、チューイに吠えられます。かつての自分も同じようであったと言われるのです。

 

ポーの危機にフィンたちは間に合います。


そして苦闘の末にレイ達は敵鑑に乗り込みますが、これこそが敵の狙いでルークに育てさせたジェダイの騎士を一網打尽にして闇の力に取り込もうとしていたのです。


次々と落とされていくレジスタンスの船。


フィンはファズマと戦いますが、やられます。


レイはカイロ・レンと戦いますがカイロ・レンが前作以上に強くなっています。


ポーもまた絶体絶命のピンチになります。

さらに落ちていくレジスタンスの船。

 

レイアの船も猛攻撃にさらされます。

もうもここまでか、とレイアが覚悟を決めたときに敵艦の砲火が減ります。


突如現れたミレニアム・ファルコンが危機を救います。

レイアはそこにルークが乗っていることを感じます。


その様を見てほっとしたのも束の間、レイたち絶体絶命の状態です。

 

そこにミレニアム・ファルコンから降り立ったルークが現れます。

 

ここからはルーク無双です。


かつてベイダーや皇帝と渡り合ったルークの力はカイロ・レンやスノークの比ではありません。


圧倒的な力を見せつけますが、ルークはレイに殺されそうになるファズマを助けます。レイに母親殺しをさせないためです。

 

そして戦いの最中にファズマが得たフィンのライトセーバーによってルークはファズマに殺されます。

ルークは愛した妻に殺されるのです。


ミレニアム・ファルコンとポーの活躍によってレイ達の乗る敵旗艦は落ちんとしています。


沈みゆく船の中でルークはレイに父親だと告げ、「一時も忘れたことはなかった」と謝ります。

 

ルークは最後のジェダイとしてフォースを発揮してレイ達はもちろんレイア達の船も助けます。


フォースに懐疑的だった敵も味方もその偉大な力に触れ「フォースは本当にあったんだ」ということがわかります。


エンディングは霊体のルークとレイア、C-3PO、R2-D2が一堂に会するシーンです。

 

以上です。

 

ポイントとしてはフォースというものをひとりのヒーローとして擬人化して取り扱い、今後キャラクターが入れ替わっても普及の主人公として据えたところです。


フォースが出てくれば、ある人はヨーダを思い返すかもしれないし、レイのことと思うかもしれないしルークのことだと思うかもしれない。そういう仕掛けにしました。


全体の流れは旧三部作の焼き直しの部分もありますが、当時との映像技術の違いで十分に魅せられると思います。

 

また、ルークの死はお預けにして、完結編に持ち越してもいいかもしれません。

次回作で修行のシーンはきっと面白いセットピースになると思います。ファズマとの因縁など脚本的にクリフハンガーになってこれもいいと思います。

 

上記はすべてまったく私の妄想ですのでご注意ください。

 

でも、こんなスターウォーズ面白いと思うんだけど、脚本書かせてくれないかな。「最後のジェダイ」作り直したい!

 

 

↓ ネタバレを含む感想です。自分としては珍しく批判的な内容です。

スターウォーズ/最後のジェダイ どうしてこうなった!?続編映画製作の難しさと製作側の旨味 ※ネタバレ有

 

↓ うがった見方だと自覚しながらもなにかアメリカの政治的意図を感じてしまったので書きました。

トランプ政権のプロパガンダ? スターウォーズ/最後のジェダイ

 

 

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スターウォーズ/最後のジェダイ どうしてこうなった!?続編映画製作の難しさと製作側の旨味 ※ネタバレ有

JUGEMテーマ:スターウォーズ

 

スターウォーズ エピソード8「最後のジェダイ」を鑑賞してきました。


期待に胸を躍らせて公開日にチケットを取り、勇んで劇場に足を運び、始まる前はなぜかちょっと緊張してシートに座りました。

 

そして152分後…。

 

映画はエンディングを迎え、エンドロールが流れます。
アルファベットの青い文字で埋め尽くされたスクリーンを観ながら私は「どうしよう?」という焦燥感でいっぱいになっていました。

 

それは、このままではスターウォーズがどうなってしまうのかわからないという想いです。鑑賞前の 緊張感はこの心配だったのかもしれません。

 

私はスターウォーズのファンです。
ダースベイダーやストームトルーパー、ミレニアム・ファルコン号、ライトセーバー、ジャバ・ザ・ハット、その他のどれもこれも思い入れがあり、ハン・ソロは最もお気に入りのキャラクターです。

旧三部作はもちろん大好きです。


前作「フォースの覚醒」は期待以上の作品でした。初のスピンオフ作品となった「ローグ・ワン」が描いた名もなき一兵士たちの切ない物語も素晴らしかった。
新三部作が賛否両論なのもよくわかります。

 

そんな私は大ファンではありますがマニアではないつもりです。

多少のことで必要以上に作品をけなしたり、知ったかぶりをするつもりはありません。それはたとえハン・ソロがいなくなっても変わりません。

 

さて今回の「最後のジェダイ」は三部作の二作目ということで、前作「フォースの覚醒」の設定やストーリーを引き継いだ上でストーリーを盛り上げ、観客をハラハラさせて、一応の決着を見せ終えながら次の完結編につなげるという至難の業に挑まざるを得ない。


脚本上では三部作の真ん中は最も難儀な前提条件の上での製作なのは間違いありません。


映画史上を振り返ると続編が駄作に終わった作品がほとんどです。
もちろんいくつかの映画の中には前作を凌いだ名作もあります。

 

たとえば「ターミネーター2」は一作目も素晴らしいですが二作目はそれを大きく上回る出来でした。3以降はかなり酷いですが。

 

クリストファー・ノーラン監督の「バットマン」も二作目の「ダークナイト」が素晴らしかった。三作目の「ダークナイトライジング」はやる気をなくしたのかってくらい雑な作りでしたが。


サム・ライミ監督の「スパイダーマン」も二作目でしっかりテーマを描き切っていました。


では、なぜこれらの映画が前作を凌ぐ作品になり得たか?

 

スターウォーズ「最後のジェダイ」は非常に困難な中での作品作りだったことを想像しながらも私としては受け容れがたい部分がありました。

 

私が感じたスターウォーズ「最後のジェダイ」の「犯した過ち」を4つの観点とその原因から見ていきたいと思います。

 

.ャラクター描写の不足

不要なコミカルタッチ

J慷すぎるフォース

い修發修盖嗚椶甘い

イ匹Δ靴討海Δ覆辰燭里?

 

以下、ネタバレを含みます。

 

.ャラクター描写の不足
「最後のジェダイ」(以下、本作)ではキャラクターの描き方が非常に希薄でした。例えばチューバッカやC-3PO、R2-D2、果てはミレニアム・ファルコン号といった物にもそれらが不足していました。


続編で成功する第一歩は前提をもう一度やり直すことです。

 

前作のヒットがあればこそ続編が製作され、観客の大部分も前作を観ているわけです。製作陣は前作の面白いところ、キャラの立っている部分を利用して続編に臨むわけですが、ここで再度、前提を構築し直さなければならない。


それがどういうことか「ターミネーター2」を例にしてみましょう。
アーノルド・シュワルツェネッガー演じるターミネーターは一作目では人類を滅ぼすため(具体的にはサラ・コナーの暗殺をするため)に未来からやってきます。二作目で今度は人類を救う(ジョン・コナーを守る)という新たな役割を与えられてやってきます。サラ・コナーは一作目では非力な一般の女性ですが二作目では精神病院に入院しています。未来の崩壊を見据え自分を見失っていない強い女性として描かれています。


製作陣は第一作のターミネーターからこの二人のキャラクターを大きく設定し直すことによってキャラクターの魅力を引き出しています。


設定を変えずにキャラクターを立てている例として「スパイダーマン」は「大いなる力には責任が伴う」というテーマを踏襲してキャラクターの苦悩を描き直しています。

 

本作で製作陣はキャラクターの再構築=描写を疎かにしました。


チューイはただの毛むくじゃらで怪力のモンスターとしてしか描かれていません。かつてハン・ソロとともに同盟軍のたった二人の友軍としてミレニアム・ファルコン号=宇宙最速のガラクタを駆ってデススターを沈めた。そういう旨味を出していないわけです。


C-3POは、ただいるだけで多少おしゃべりだというだけです。


R2-D2も登場はしますがその個性を表すような描写は薄く役割としては単なる映写機で終わっています。


ルーク・スカイウォーカーに至ってはそのパーソナリティも変わってしまいコミカルさを出させられています。レイにフォースを伝授するシーンではおふざけが入り、物語の終盤、集中砲火を浴びた後、これ見よがしに肩を払うシーンなどはパロディ映画かと想わせるほどにチープな演出でした。

ルークを演じるマーク・ハミルは自身の役の描き方に違和感があり監督と話したとのことですが、それはそうでしょう。


ライトセーバーは冒頭でルークによって放り投げられてしまうのですが、そんなことをルークがするでしょうか?


では新しいキャラクターたちはどうでしょう。


唯一、気を吐いたのがポーでしょう。

パイロットとしての腕はあるが向こう見ずで無鉄砲、後先考えずに突っ込んでいく性格はよく出ていました。終盤、ポーがルークの意図を汲んで逃げることを言い出します。ちょっと描き方は弱いですがレイアが成長した彼の姿をすでにリーダーとして認めるシーンがあります。


なぜポーはキャラクターが立ったのか?


それは葛藤が一番多かったからだと思います。船内で揉め、そして成長する。映画の登場人物の王道です。


レイはどうでしょうか?
公開前の私の予想では、彼女はルークの娘で母親はキャプテンファズマだと思っていたのですが、全く違いましたね。
しかし、あの方陣のような場所に座っていきなりフォースらしき物を感じるシーンはあまりにも唐突でした。

大した修行もせずカイロ・レンと渡り合うあたりも雑でしたね。すでに銀河クラスの強さです。


キャラクターという意味ではジェダイの島に住むポーグはかわいさを前面に出していかにもディズニーランドのショップに並べたいディズニーの意図が見え、あざとさに辟易しました。


フィンとローズも人種的なバランスを取って市場を開拓しようというのが見えすぎました。黒人とアジア人、唐突なラブストーリーに私は置いてけぼりでした。


ローズの姉が冒頭壮絶な最期を遂げますが、その前に一瞬でもローズとの姉妹の絡みがあれば感情移入もしやすかったと思うのですが、脚本作りにちょっと不備が多いですね。

 

それから彼女を指してローズではなくて、ロースだという人がいましたが明らかにアジア人をそういった目で見ているハリウッドの映画界の白人至上主義的な人種差別を感じました。

 

とにもかくにもキャラクターが多すぎて描写が薄まってしまいました。


思い返してみるとキャラクターたちはバラバラにしか出てこず、いかにも分担してチームごとに撮影した感じが現れています。予算はあるでしょうから製作日数が少なすぎるんでしょう。

 

不要なコミカルタッチ
私はスターウォーズは重々しくなければならない、などとは露ほども考えていません。

面白いシーンがあれば笑いたいし、気の利いたジョークならどんどん使ってほしい。しかしそれらはキャラクターのパーソナリティに則った形で出てくるべきで、コミカルありきではありません


上にも書きましたが、ルークがレイにフォースを教えるシーンで枝を使ったおふざけシーンではレイはともかくルークのキャラには全くない演出です。

劇場では笑いが起きていましたが私はルークにあれをやらせる意図がまったくわかりませんでした。


またこれもルークですが、ライトセーバーを放り投げるところも意図的にコミカルさを出していましたが、前作のラストが感動的だっただけに肩透かし感が酷かった。ルークがライトセーバーをあんな風に扱いますかね?

 

J慷すぎるフォース
フォースというものの描かれ方はすごい力ではあるもののあんまり器用なことはできない、というイメージではないでしょうか?
近い将来のイメージが現れたり、親しい者の生命の危機を感じ取るとか。これだけでもかなりマジカルですが、本作では万能の魔法としてフォースは描かれています。


劇中、もっとも呆気にとられたのがルークの遠隔操縦です。


ジェダイ寺院から遠く離れたレジスタンスの基地にルークはフォースの力で自分の分身というか幻を送り込むのですがあんなことができるなら、なんでもアリです。
スノークーの枕元にでも現れてやればいいんです。


レイがいきなり大量の岩をフォースで動かすシーンもレイのあっさり強くなる感と相まってフォース万能感がありすぎて、ハリーポッターかと思いました。


宇宙空間に放り出されたレイアがフォースでクルーザーに戻るシーンも酷かった。


また、霊体となったヨーダが雷を落とす力を発揮するところ、あれもあんなことができるならとっととファーストオーダーを倒してこいと言いたい。霊体はあくまで霊体で生きている者に助言や示唆を与える程度であった前提を壊してなんでもアリにしてしまった本作の罪は重い。


レイとカイロ・レンの交信も具体的すぎる。

旧三部作でのベイダーとルークでさえなんとなく近くにいる程度しかお互いを感応できなかったのに、レンとレイは小屋の中で手が触れ合ってましたからね。


監督はフォースを魔法あるいはスマホかなにかと勘違いしてるんじゃないでしょうか?


い修發修盖嗚椶甘い
本作はもっと面白く、ドラマティックにできたはずです。

 

なんといっても伝説のジェダイであるルーク・スカイウォーカーが死ぬわけですからそれだけでも劇的な見せ方ができたはずです。

 

それなのに遠隔操縦の上に身体が浮遊して、力尽きて死んでしまうのを見て「えっ!これで終わり?」と思った人は大勢いたんじゃないでしょうか。

 

フィンとローズがカジノに乗り込むシークエンスもいかにも後から突っ込んだ感じです。ディズニーの重役に「セットピースを増やしてくれ」とでも言われたのでしょう。


そしてある意味一番質の悪い武器商人たちはなんら罰を受けることなく物語は終わってしまいます。

 

ポーが反乱を起こして皆を救おうとして奮闘し、しかしレイアに倒されて真実を知るシーンももっとホルドのことを取り上げ盛り上げることができた様に思います。

 

冒頭のレジスタンスによる爆撃シーンも宇宙空間なのにドアの開いた船内に空気があったり、無重力なのに爆弾がズラララッと「落ちて」いくし。

 

なにからなにまでリアルにする必要はないですが、フィクションとリアルのバランスをもっときちんと見せてほしかったです。考証的にもちょっと酷い。

 

イ覆爾海Δ覆辰討靴泙辰燭里?
くりかえしになりますが私はスターウォーズが大好きです。


本作に関してケチョンケチョンに言っているわけですが、新作を観られる喜びは噛みしめておリます。

 

しかし、それでもやはり本作は酷評せざるを得ない。

 

ではなぜそうなったのか?


キーワードはハリソン・フォードだと思います。

前作「フォースの覚醒」はこうしてみると良くできていたのだと本作と比べて改めて思います。前作の公開までは正直、J.J.エイブラムスが監督をやると聞いて妙なことになるんじゃないかなと思っていたのですが、そんなことはありませんでした。

 

ハリソン・フォードはスターウォーズの出演陣の中では間違いなく最も成功したスターです。

そのハリソン・フォードは「フォースの覚醒」の出演オファーを受けたときにこう言ったといいます。

 

「ジャー・ジャーは出すなよ」

 

ジャー・ジャーとは新三部作に出てくるジャー・ジャー・ビンクスのことです。カタツムリが二足歩行しているような生物で、役割としては活動的なC-3POというところでしょうか。


よくしゃべるコミカルな役柄で、新三部作がアナキンがベイダーになってしまう暗さを中和しようとして思いっきり明るい方に振ったのがジャー・ジャーです。
料理に例えるとベイダーの塩味がしょっぱすぎたのでジャー・ジャーという砂糖をぶち込んだ感じで料理全体としては大味で訳がわからないばらばら感がありました。ジャー・ジャーがとにかくうるさくて、うっとうしいんですね。

 

そしてこのキャラクターは出すなよとハリソン・フォードは言ったわけです。

 

この発言はジョークの一種だと思いますが、ハリソンはジャ−・ジャ−そのものを指したわけではなくて、スターウォーズという作品に対して間違ったことはするなよ、と言ったのだと思います。それは脚本、監督、そしてディズニーに対しての発言だったのでしょう。

 

「フォースの覚醒」を作るに当たり、ハン・ソロ抜きでの製作はあり得ない。

 

なおかつハリソン・フォードのキャリアからすればスターウォーズのオファーが気に入らなければそれを蹴ることもできる。

そこで前作はハン・ソロを前面に出してルークやレイア、レイ達、新キャラクターとのバランスを取った。結果として旧三部作のテイストが残った作品となり、ファンも溜飲?が下がった。

 

そういった点から本作を振り返ると旧三部作のキャラクター達は皆リストラ対象です。上に挙げたように、非常に扱いが雑でなんとか、新キャラクターにスポットを当てようとしています。


そのこと自体は当然なことです。新しい作品を作っているのですから。


しかし、もともとのキャラクターや世界観、設定をいじくってしまってはそれはまったく別物の映画になってしまいます。


本作を別のタイトルの映画として作ったなら私は人に勧めますが、スターウォーズとして見た場合にはとても勧められません。

 

本作は一言で言えば旧三部作との決別でしょう。

 

スターウォーズをディズニーが買ったというニュースを聞いたときに頭をよぎった懸念がここに来て現れた気がします。


おそらく旧三部作のキャラクター達と新作のキャラクターではディズニーの取り分が違うのでしょう。身も蓋もない言い方をすれば、新キャラを売った方がディズニーは儲かるのではないでしょうか。具体的に言えばポーグを早くディズニーランドのショップで売り出したいわけです。

 

そんなディズニーの思惑が透けて見える気がします。

 

次回作ではレイアとC-3PO、R2-D2の役割はさらに減るでしょう。

 

ディズニーのものになったスターウォーズはサイエンス・フィクション(SF)からサイエンス・ファンタジーになってしまいました。
わたしのスターウォーズは終わりました。

そしてそれは仕方のないことでスターウォーズは新しい世代のものになった。


しかしそれでもなんだかんだでスピンオフや次回作も観に行くのは間違いない自分がちょっと悲しいです。

 

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